RWBY 理不尽な世界に御伽噺を願う物語

Kanata
19 min readJan 13, 2019

--

English(英語) / Japanese(日本語)

本稿はボリューム1~6のネタバレを含みます

はじめに

RWBYはアメリカで制作・配信されている3DCGアニメである。日本では知名度が低いが、Youtubeのシリーズ総再生数は1億回をゆうに超え、新エピソードが公開されれば1時間かそこらでRedditの専用スレッドに1000コメント以上投稿されるような、英語圏のモンスターコンテンツだ。

注: ボリューム6からはRooster Teeth公式サイトのみの配信となっている。

僕が最初にRWBYに出会ったのはもちろんRed Trailerである。その外連味たっぷりのアクションに魅了されてから、しばらくコンテンツの興隆を追いかけていたのだけど、本編に入ってからは(アクションは相変わらず素晴らしいものの)肝心のストーリーがいまいちで、見たり見なかったりを繰り返していた。しかしボリューム3中盤、ヤンが放った衝撃的な一撃から雰囲気ががらりと変わり、ストーリーに深みが増す。いや考えてみれば、最初からストーリーはとてつもなく深かったのだ。僕が気付かなかっただけで。

このアニメの真価は、何度見返しても新しい発見がある、というところにある。新しいボリュームが始まるたびに最初から何度も見返しているけど、その度に「このセリフってこういう意味だったんだ」とか「このキャラのこの行動にはこういう意味があったのか」とか、新しい気持ちでワクワクしながら見ることができる。

いちばん象徴的なのが本編最初のナレーションだ。当初はただのナレーターによる世界観解説でしかないと思っていたそれは、ボリューム3のラストで、そのナレーターこそが敵の首魁、セイラムであることが明かされる。そしてこのナレーションはただの解説ではなく、主人公側の筆頭であるオズピンとの会話であることが判明する。どうしていきなりオズピンがナレーションに割って入っているのかずっと不思議に思っていたのだけど、ボリューム3を見終えた後ようやく腑に落ちた。

Narrator: So you may prepare your guardians, build your monuments to a so-called free world, but take heed… there will be no victory in strength.
ナレーター: 守り人を並べるがよい。貴様らが自由な世界と嘯く地に碑を建てるがよい。しかし心せよ。力を求めた先に勝利などないと……。

Ozpin: But perhaps victory is in the simpler things that you’ve long forgotten, things that require a smaller, more honest soul.
オズピン: むしろ勝利は、もっとシンプルな、人々が久しく忘れてしまったものの先にあるのかもしれない。もっと小さく、純真な心の先に。
Volume 1, Chapter 1: Ruby Rose

Narrator: “A smaller, more honest soul.” It’s true that a simple spark can ignite hope, breathe fire into the hearts of the weary. The ability to derive strength from hope is undoubtedly mankind’s greatest attribute. Which is why I will focus all of my power… to snuff it out.
ナレーター: 「小さく、純真な心」か。たしかにその微かな煌めきが火種となり、やつれ果てた心に希望の火を燈していくやもしれぬ。希望を力に変えられる — それが人類の持つ最も優れた性質であることは疑うべくもない。故に、私は持てる力のすべてを用いて……その火を吹き消そう。
Volume 3, Chapter 12: End of the Beginning

そして The Lost Fable を見終えた後ではまた違った角度からこの会話をとらえることができる。前提知識なく見れば、オズピンの「人々が久しく忘れてしまった」 “You’ve long forgotten” というセリフの You は世間一般を示す「人々」と解釈するのが普通だが、この二人がいかに袂を分かち、長い年月をかけて対立してきたかを知った後では、この You は暗にセイラム本人を指しているのではないか、という解釈が可能だ。「セイラム、いつの間に君はそんなにこんがらがってしまったんだ。最初の最初に求めていたものが何だったのか、覚えていないのか?」と。

セイラムは最初の最初に求めていたものを覚えている、いまもまだそれが彼女を突き動かしている、というのが僕の考察であり、この記事で書きたいことである。そしてそれは、RWBYという物語の根底をなすテーマが何なのかを解き明かすことにつながるはずだ。

Fairを求めた人間

The Lost Fable ではレムナント(RWBYの世界)について重要な事実が多く明かされた。この地が文字通りの Remnant 残滓に過ぎないこと、文字通り Godless 神なき世界であること。セイラムとオズマは二人で新しい神になろうとしたが、オズマの拒絶によって袂を分かち、現在まで続く長い長い確執が始まったこと。全編にわたって興味深いエピソードだったけど、僕が最も興味をひかれたのは、セイラムのとあるセリフである。

セイラムは愛する人、オズマを病気によって失った。

Salem: How could the gods let this happen?
セイラム: なぜ神は何もしてくださらなかったの?

Jinn: The gods, brothers of light and darkness, creation and destruction. Salem prayed they would see the injustice that had befallen her love and make things right.
ジン: 神。光と闇、創造と破壊の兄弟神。セイラムは願い求めた。愛する人に降りかかった不条理、神々がそれに気付き、正してくれることを。

そして彼女は光の神に請願する。

Salem: Please… Please, bring him back to me.
セイラム: お願い……どうか、あの人を返して。

光の神がその願いを却下した次の瞬間、セイラムがなんと叫んだか覚えているだろうか。

Salem: But that’s not fair… That’s not fair!
セイラム: でもそんなのってないわ……そんなの理不尽よ!

“That’s not fair.” は直訳すれば「そんなの公正じゃない」だが、この場面では「そんなのってない」「そんなの理不尽だ」と訳すのが最も適していると思われる。このセリフはとても興味深いと思った。

余談になるが、ジンは物語中で最も信頼できる語り手である。嘘をつくキャラクターもいれば、誤解によって真実を語らない(れない)キャラクターもいる中で、ジンだけが確実に真実を語ると保証されている。その最も信頼できる語り手がこのように描写した。”Salem prayed they would see the injustice that had befallen her love and make things right.” 「セイラムは願い求めた。愛する人に降りかかった不条理、神々がそれに気付き、正してくれることを」これは100%正確な描写であると考えていいはずだ。

セイラムはオズマの死を Injustice(Justice の対義語。不正義、不当。ここでは文脈上、不条理と訳した)であると捉えており、それは条理から外れたものなので当然 Make things right 正されるべきことだと考えている。セイラムの心情はわかる。悲しみもわかる。愛する人を失って神に復活を請願するのも理解できる。しかしなぜ彼女が、その不条理が正されることはないと知ったとき、”That’s not fair.” 直訳すれば「公正じゃない」と叫んだのか、非ネイティブには理解しにくいものがあるのではないだろうか。これは単なる言語障壁なのだろうか? それとも文化の違い? 次節でこのあたりを掘り下げてみたい。

Fairとは何か?

ご存知のように日本語には多くの外来語があり、「フェア」もそのひとつである。この言葉の意味がわからないという人はまずいないだろう。国語辞典を引いてみると、以下のようになっている。

1: 道義的に正しいさま。公明正大なさま。「フェアな精神」「フェアな価格設定」
2: 規則にかなったさま。またスポーツで、規定の場所の内にあるさま。「フェアな試合」「フェアフライ」
goo国語辞書

しかし、日本語としてのカタカナ書きの「フェア」からは「公正、公平、ルールに沿っている」という意味しか受け取れず、英語としての Fair の本来持つニュアンスは受け取れないように思われる。試しに前節のセイラムのセリフをカタカナ書きにしてみよう。愛する人を失い、神に復活を求めたが却下された。その直後セイラムが叫ぶ — そんなのフェアじゃないわ! やはりなんだかおかしい。日本語としての「フェア」からは、英語としての Fair の本来持つニュアンスは引き出せないのだ。

本来のニュアンスを把握するには “Fair enough” というフレーズから掘り下げていくのがいいように思われる。直訳すれば「十分に公正だ」となって意味がわからないし、Enoughという響きから皮肉的なニュアンスを感じ取る人もいるかもしれないが、これが皮肉として使われることはない(少なくとも僕は一度も聞いたことがない)。むしろ逆で、「納得した」「それならしかたない」という意味で使われる。たとえば、誰かと何か議論をしていて、最初は反対の立場を取っていたものの、最終的に納得できたとき、”Fair enough” と言ったりする。たとえ自分が違う意見を持っていたとしても、「そういうことならしかたない」「そうあるべきだ」みたいな感じのニュアンスだ。

この「そうあるべき」というのが英語としての Fair の持つ本来のニュアンスである。

※ちなみに英語版の記事では “What should be” と表現した。

御伽噺

RWBYのキャラクターはたくさんの御伽噺をベースにしている。ルビーは赤ずきんちゃん、ワイスは白雪姫、等々。そしてどうもレムナントにも独自の御伽噺があるようだ。

Ozpin: What is your favorite fairy tale?
オズピン: 君の好きな御伽噺は何かね?

Pyrrha: Well, there’s The Tale of The Two Brothers, The Shallow Sea, The Girl in the Tower…
ピュラ: そうですね、二兄弟の物語、浅き海、塔の少女……。
Volume 3, Chapter 6: Fall

最後の「塔の少女」はどう考えてもセイラムの話だ。しかしこれは実際に起こったことと同じ話ではないだろう。なぜなら、御伽噺とは、Fair なものだから。御伽噺の中では「そうあるべき」ことだけが語られるから。正直者は最後に報われる。苦難に耐えた者には幸福が訪れる。それこそが御伽噺。それこそがフェアリーテイル。Fairy tale という言葉自体がまさにそれを正確に示している。Fair-y tale と。こんなの単なる言葉遊びに過ぎない? それでは作中でジンが御伽噺を物語った場面を振り返ってみよう。

Jinn: The two fell deeply in love, planned adventures around the world, and lived happily ever after… or at least that’s what should have been.
ジン: 二人は深く恋に落ち、共に世界を巡る冒険の旅に出かけようと話し合った。そして末永く幸せに暮らしましたとさ……と、本来なればこのような結末になって然るべきだったのであろう。
Volume 6, Chapter 3: The Lost Fable

ジンは言った。”That’s what should have been.” 「そうなるべきだった(が、そうはならなかった)」と。それこそがセイラムが “That’s not fair.” 「公正じゃない」「そんなの理不尽だ」 と言った理由である。彼女はただ「めでたしめでたし」でお話を終わらせたかったのだ。「そうあるべき」ことが当然のように起こる御伽噺の世界、Fair な世界、公正な世界に生きていたかっただけなのだ。しかし悲しいかな、彼女が生きていたのは現実の世界、それはまったくもって Fair じゃない世界、公正じゃない世界、理不尽な世界だったのである。

Blake: Unfortunately, the real world isn’t the same as a fairy tale.
ブレイク: 残念だけど、現実は御伽噺のようにはいかない。
Volume 1, Chapter 3: The Shining Beacon, Pt.2

Roman: The real world is cold! The real world doesn’t care about spirit!
ローマン: 現実は冷たく、人の想いなど歯牙にもかけない!
Volume 3, Chapter 11: Heroes and Monsters

それはRWBYの劇中で、楽曲中で、何度も何度も繰り返されることである。現実は御伽噺とは違うと。

Qrow: Sometimes bad things just happen.
クロウ: 災難ってのは何の脈略もなく訪れるもんだ。
Volume 3, Chapter 8: Destiny

Yang: Sometimes bad things just happen, Ruby!
ヤン: 災難は何の脈略もなく訪れるんだよルビー!
Volume 3, Chapter 12: End of the Beginning

Ruby: You told me once that bad things just happen. You were angry when you said it, and I didn’t want to listen, but you were right, bad things do happen, all the time, every day.
ルビー: お姉ちゃんいつか言ったよね、災難は何の脈略もなく訪れるんだって。あのときお姉ちゃん怒ってた。私は認めたくなかったけど、やっぱりお姉ちゃんは正しかったよ。たしかに災難は訪れる。どんな時も。毎日のように。
Volume 4, Chapter 12: No Safe Haven

このセリフはクロウからヤンへ、ヤンからルビーへ伝えられるもので、シリーズ中でもかなり重要な位置を占めるセリフである。それは御伽噺の否定。世界は公正で、最終的につじつまが合うという幻想の否定。悪いことがあればそれに報いる何かがあるはず、なんてのは人間の勝手な思い込みでしかない。災難はいつだって脈略なく唐突に訪れるだけで、それは過去のどんな事象にも、未来のどんな事象にも関係がない。それがいつかどこかで清算されるなんてことは決してない。なぜならこの世界は公正ではないのだから。クロウがこの哲学を持つに至った理由は、チームSTRQのエピソードで語られるだろう(上記のルビーのセリフ “Bad things do happen” のところでチームSTRQの写真がアップになる)。

彼女の有り様

セイラムはかつて御伽噺の世界、Fair な世界に生きたいと思っていた。それは間違いないようだ。それなら、今はどうなのだろう?

彼女はもう決して純真とは言えない。他者を脅し、操り、駒として使う。これ以上ないくらいの悪役っぷりだ。しかし決して独裁者ではない。ワッツがシンダーに悪意を向けたときはシンダーを庇った。シンダーのルビーに対する執着を見て取ったときは計画を変更した。ティリアンが任務に失敗したときはただ「失望した」と言っただけだ。

セイラムは他人の前では常に理性的だ。しかし一度だけ感情的になったことがある。

Salem: Who is responsible for your defeat?
セイラム: この度の敗走の責は誰にある?

Hazel: I take full responsibility.
ヘイゼル: 全責任は私に。

Salem: But that wouldn’t be fair now, would it?!
セイラム: それは道理にかなわぬであろう!
Volume 6, Chapter 4: So That’s How It Is

セイラムのセリフに含まれる単語に気付いただろうか。ここでは文脈上「道理」と訳したが、ここで使われている単語は Fair なのだ。Fair でないこと。そのことに対してセイラムは初めて感情を見せたのである。

※この直後、オズピンのことを聞いたセイラムは感情を爆発させるが、その前に全員に対して立ち去るように告げている。これは理性的であると言えよう。

セイラムは言う。

Salem: It’s important not to lose sight of what drives us: Love, justice, reverence.
セイラム: 我らの根底にあるものは何なのか、しかと心に留めよ。愛、正義、敬意。

これは決して冗談ではない。セイラムは本気で言っている。これら「御伽噺に必須の要素」が、いまもまだ彼女を突き動かしているのである。

それでは、いまのセイラムの目的は何なのだろうか? これは個人的な推測に過ぎないが、彼女は現在の世界を破壊し、新しい世界を創造しようとしているのではないだろうか。彼女が長年求めてきた世界、「そうあるべき」ことが当然のように起こる御伽噺の世界、Fair な世界を。「現実は御伽噺のようにはいかない」のであれば、彼女が自分の求めるものを手に入れる手段は、それしかないように思われる。

RWBYの登場人物たちは本当にみんなキャラが立っていて、それぞれが独自の思想を持ち、画面の中を所狭しと動き回っているが、セイラムほど複雑にこんがらがったキャラクターはいない。しかし、彼女こそが最も人間らしいと僕は思う。最初はささやかな願いでしかなかったものが、いつの間にか複雑になり、肥大化し、取り返しのつかないところまで来てしまう。自身に誠実であろうとすればするほど、なぜかどんどん状況が酷くなっていく。ああこれぞ人生。これぞ人間。誰もがうんざりするほどよく知っていることでしょう?

おわりに

RWBYとは、理不尽な世界に御伽噺を願う人々の物語である。セイラムだけではない。もちろん主人公であるルビーもそうだ。

Ruby: I love books. Yang used to read to me every night before bed, stories of heroes and monsters… They’re one of the reasons I want to be a Huntress.
ルビー: 私も本が好き。昔、お姉ちゃんが毎晩寝る前に読んでくれたの。ヒーローとモンスターの物語……私がハンターを目指す理由のひとつ。

Blake: And why is that? Hoping you’ll live happily ever after?
ブレイク: なんでまた。それで末永く幸せに暮らしました、なんてなると思ってる?

Ruby: Well, I’m hoping we all will. As a girl, I wanted to be just like those heroes in the books, someone who fought for what was right, and protected people who couldn’t protect themselves.
ルビー: みんなそうなればいいなって思うよ。小さいころ、本の中に出てくるヒーローみたいになりたいと思ってた。正しいことのために戦って、自分を守る術のない誰かを守れるヒーローに。

Blake: That’s… very ambitious for a child. Unfortunately, the real world isn’t the same as a fairy tale.
ブレイク: 夢見る子供だったのね……。残念だけど、現実は御伽噺のようにはいかない。

Ruby: Well, that’s why we’re here, to make it better.
ルビー: だから私たちがここにいるんじゃない。世界を少しでもマシにするために。
Volume 1, Chapter 3: The Shining Beacon, Pt.2

いつかルビー(小さく純真な心)が、セイラム(複雑に肥大化した心)に対峙する日が来るだろう。そのとき何が起こるのか。最終的にセイラムが「生と死の重要性を理解して安らぎ(死)を得る」のだろうか。光の神はそう言っていたが、ここまでこんがらがってしまった糸が、そう簡単にほどけるとも思えない。いつか彼女が心の底から “Fair enough” と言える日が来ることを願うばかりである。

物語はまだまだ中盤。明かされていない謎もたくさんある。なぜセイラムはこれまで銀眼の戦士を葬ってきた(と目される)のに、ルビーを殺さないように命令したのだろうか? End of the Beginningでセイラムが言っていた “Know that you send her to the same, pitiful demise.” 「彼女を同じ哀れな最期へ導いていることを知るがよい」の彼女とは誰のことなのか? チームSTRQに何があったのか? サマーに何があったのか? 個人的にサマーがこの物語の最も重要なキーだと思っているのだが……現状ではわからないことだらけだ。しかしひとつだけわかっていることはある。

「残念だけど、現実は御伽噺のようにはいかない」

だからRWBYがこの世に存在するのだ。「私たちの世界」を少しでもマシにするために。

--

--